アレフに出家している者です。

アレフの出家の真相について、実態について、赤裸々に書いてみます。

洗脳されてる!?

普通の人は、アレフやオウムの信者になるということは、「洗脳されているんだ」「盲信しているんだ」と考えることでしょう。

あるいは、そこまでいかなくても、「なんで宗教なんかを信じるんだ?」

と思うでしょう。

 

ましてや出家なんてのは、正気の沙汰ではない!と思うでしょう。

私も自分で、「よくアレフに出家したな」と思うことがたまにあります。

 

 

私の上長の師の方も、ご自身がオウムに入会した当時は、「洗脳されているんだ」と周りに冷やかされ、からかわれた経験がおありとのことでしたが、

その時はこう言い返されたそうです。

「そうだよ、洗脳されてるんだよ。汚れきった頭の中をジャブジャブ洗ってもらってるんだ」

 

要は、その名前が何にせよ、中身が本当にその人に利益をもたらすか、というところがポイントということです。

 

仏教では、この宇宙のものは一切が無常(一定ではなく、必ず変化し続けている)であり、永遠のものはない、という考え方です。

これが本当なら、私たちが幸せだと思っている日常のことがすべて、永遠のものではなく、その瞬間だけの喜びであったり、

瞬間ではなくても一時的なもの、ということになります。

 

だから、その喜びが終わったらさみしさや、満たされない感覚がやってくる、つまりこれが「苦しみ」なんだよと説いているわけです。

そして、それは満たしても満たしてもきりがないんだ、

だからそういうものからは離れる「修行」をして、「解脱・悟り」を得るぞ、

ということなのです。

 

もちろんこれはアレフだけではなく、スリランカチベットブータンなどの仏教国ではこの仏教思想に則った生活をしています。

 

なので、この考え方が前提なら、今の世の中の考え方が苦しみを与えるんだ、ということで「汚れている」と言えるわけで、

その考え方を改めるために「洗ってもらっている」という表現になるわけです。

 

逆に、仏教思想を「汚れている」とするなら、

「そんな宗教やっても意味がないんだ」

ということになるわけです。

 

というわけで、はたしてアレフの教えを信仰することは洗脳されていることになるのか、という問いに関しては、

仏教思想を前提をとするかどうかによる、

ということがひとつの答えになりそうです。

 

 

出家できるのは幸福の科学だけじゃない。

最近、幸福の科学清水富美加さんが出家したということが世間で騒がれています。

普段はテレビ、ラジオ、雑誌、新聞などのメディア類はほとんど見ないので、これは人づてに聞いたのですが、とても驚きました。

幸福の科学って、出家できるんだ。。」

そして、それを聞いて、こうも思いました。

「うちもそれくらい話題になったらいいな…」

 

なにより羨ましかったのは、信徒の中に有名人がいることと、その人が公に「出家します」宣言してしまったこと。

宣伝効果がどれだけ大きいことか…

 

かたやアレフは、信徒数を増やそうと日々頑張ってはいますが、その増加数はたかが知れています。

 

その賛否がいろいろと騒がれているとはいえ、有名人がやっていて出家までするなんていうのは、いままで怪訝な目で見ていた人たちに少なからず、いい意味での観念崩しになっていると思います。

 

そんな流行りに便乗して、アレフの良さを世に知らせようと思い、ブログ開設を思い立ちました。

 

 

…しかし!

よくよく調べてみると、出家の定義がアレフとは全然違うことがわかりました。

幸福の科学の出家については、以下の記事のとおりです。

 幸福の科学の2016年の職員採用ページには、「幸福の科学の職員(出家者)」という表現がある。この点について、J-CASTニュース

"「宗教法人幸福の科学の職員に採用されれば、住んでいる環境や場所にかかわらず『出家』した、ということになるのでしょうか」"

と確認したところ、幸福の科学グループ広報局は、

"「職員としての採用が決まった時点で、出家が決まったことになります」"

と回答。出家生活については、

"「社会と隔離された集団生活ではなく、基本的には現代的な社会生活と変わりません。家族とともに居住する場合もあります」"

と説明した。

*1

 

一方、アレフの出家は、

 

 「家を出て仏門にはいること。俗世を離れ仏法修行の道にはいること。しゅけ」(精選版 日本国語大辞典
「家を出て仏門に入ること。俗世間をすて、仏道修行に入ること。また、その人。僧」(広辞苑 第6版)

 

にあたります。

具体的に言うと、

会社、家族、友人知人、親族

これらとの一切の関わりを断ちます。

会社は辞め、家族には別れを告げ、家も引き払います。

そして、教団の施設で共同生活を送りながら、それぞれ分担された教団の運営活動を行っていきます。

 

したがって、初めは「幸福の科学も結構本格的なことしてるのかな」

と思ったのですが、実態はかなり妥協した出家制度だということがわかり、どこかがっかりした自分もいました(別にがっかりしなくていいのですが)。

 

ちなみに、私の場合どうやって出家したのか、なぜ出家したのかは、過去記事をご覧ください↓

bodhisattva1318640.hatenablog.com

私は2014年の出家なので、アレフではとても新しい出家者です。

というか、アレフで出家は、事件後はほとんどなく(というより教団自体が休止状態が続いていたので)、ここ数年ようやくぽつぽつと出始めた、という状態です。

 

オウム真理教時代は、オウムで出家は有名だったかもしれませんが、今の若い人たちには「アレフで出家」はピンと来ないでしょう。

というか、

「出家ってどんなことするの?」

「出家の修行って厳しいの?」

などなど、出家って何?という疑問が多いと思うので、どこまで言えるかは非常にきわどいのですが、そのあたりを記事にしていこうと思います。

 

*1:J-CASTニュース 「幸福の科学、独自定義の「出家」 清水富美加の生活はこうなる」http://www.j-cast.com/2017/02/13290494.html?p=all

アレフに出家している者です。

初めまして、アレフ出家者のSと申します。

まずは自己紹介兼ねて、私がなぜアレフに出家したのかの経緯を説明したいとおもいます。

そもそもなぜこんなブログを立ち上げようと思ったかは、こちらをご覧ください↓

 

bodhisattva1318640.hatenablog.com

 

 

【なぜアレフに出家しようと思ったのか?】

出家の理由はそのまま、アレフの教えが素晴らしいく、これに一生をかけようを思ったからです。

 

でも、なぜそう思ったのか。

なぜアレフでなければならなかったのか!?

 

私は清水さんと違い、両親は特に宗教団体に所属しているわけでもなく、宗教とは無縁でしたが、友人の勧めで法則を学び始めたのがきっかけでした。

 何回か法則の内容を学ぶだけで、今までの自分に対する劣等感、コンプレックス、自信のなさから来る悩みが一気に弱まったのが、自分にとっては奇跡的なことでした。

一時は鬱だと思って心療内科にいきましたが、鬱ではないと言われ、進められた心理療法を始めてみますが、続かず。

もう一生この悩み苦しみを背負っていくのだろうと絶望していたところに、ちょうど友人が勧めてくれました。

よくある宗教を始める流れですが、私もその例に漏れず、アレフへ入会しました。

「それはわかるけど、元オウム真理教だぞ?」

そう、それについて当然葛藤はありました。その部分の詳細はこちらをご覧ください↓

 

bodhisattva1318640.hatenablog.com

 

 

かくして私は、2010年の春に入会しました。

上記の通りなので、その後の私の生き方は、法則をもとにしたものに一変しました。

その過程で、精神的にも肉体的にもたくさんの恩恵を受けた私は、さらに法則への信を確立していきました(といっても、精神的な恩恵がほとんどなのですが)。

ただ、私以外の信徒の方にも、それぞれのプロセスで信を確立し、アレフで熱心に修行されている方はいました。

出家したいと思うかどうかの決定的な違いは、仏教・ヨガの最高の状態である

「解脱・悟り」

を得たいかどうか。

また、「世俗を捨ててまでそれを得たいのか」というところがポイントとなります。

そして私は、修行の先にある「解脱・悟り」を得たいと強く思うようになり、出家を希望しました。

そしてアレフへの出家の許可が降りたのは、2014年の冬のことです。

 

【出家の仕方】

「今どき、出家ってどうやってするの?」

「職場や家族にはなんていうのか?」

幸福の科学の清水さんは売れっ子女優さんで、かつ堂々と「幸福の科学に」「出家します」の宣言なので、ご存知の通りの大騒動ですが、

さて、私の例はどうだったのか。

私の場合は、職場には「出家」とは伝えましたが、どこにとは言いませんでした。

しかし理解のある職場だったようで、どうしてもしたいと説明したらそこまで説得されはしませんでした。

大変だったのはやはり家族の方です。

こちらには教団から出家の条件として、「アレフに出家する」と話して説得しなければなりませんでした。

(そうでもしないと、急に連絡がつかなくなったと大騒ぎ、捜索願を出され、大変なことになってしまいます。)

ただ、その頃私も立派な成人なので、そもそも本人が何をしようと自由、という大前提はあります。

確かに親にしてみれば、息子がアレフに出家するという事実は、普通なら晴天の霹靂、悪夢のような出来事でしょう。

しかし残念ながら、法則への絶対的な信を確立していた私の決意は固く、ついに親を泣く泣く諦めさせました。

 

そして、念願の出家を果たしたのです。